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愛知たいようの杜の建物づくり 2003.12.5
これは2003年12月5日開催の「愛知の高齢者施設見学会」の際、ケアハウス ゴジカラ村においてお話し頂いた内容を事務局がまとめ、話し手の校閲を経てここに掲載するものです。
きょうご覧いただく「ゴジカラ村」と「ほどほど横丁」を、私どもがなぜこのような形に作ったかをお話ししたいと思います。
ゴジカラ村はNOV建築工房の酒井さんが、ほどほど横丁は大久手計画工房の大井さんが設計しました。酒井さんは私と同級ですし、大井さんはうちの特養に7年くらい居候しておりまして、最後はうちの職員と結婚した。ふつうは設計士の先生にこうだと言われると何も言えないものですが、この二人にはガンガン言えるものですから、幸いだったと思います。
私が30歳くらいまで、このあたりはずっと雑木林だったのですが、区画整理で街になってしまった。残った雑木林をなんとか残そうということで、特養から幼稚園、学校にいたるまで、いろいろなものを作りました。それは福祉とか教育とかではなくて、木を残すためにやってきたというのが実情で、福祉も教育もさっぱり分からず、サラリーマンから転身したわけです。
私は商社にいて、それは時間=コストの世界ですから、とにかく時間に追われていたのですが、この世の中にはまったく時間に追われない人が存在することを、子どもたちやお年寄りとの二十数年間のふれあいで知りました。時間に追われない人たちは私たちと反対で、最短の距離を最高の効率で行くのではなく、遠回りすればするほど喜んでくれる。ぐちゃぐちゃしてないと、年寄りや子どもの居場所や役割がないというふうに思った。ですから、この建物も、どこもきれいにしていません。
ゼネコンさんにも、ここは木を残して、壁をへらして、庇に穴を開けて、というふうにして頂いた。
ただ、3日くらい工事がストップしたことがあります。そこの中庭に、木が生えていますが、真夏の暑いときに、そこに地中梁を入れた。なんでこれを今日やらにゃあいかんのだと聞きましたら、こちらからやると段取りがいい、と言う。「今の暑い盛りにこんなことをやったら木が死んでしまう。ここは地中梁を曲げてでも根っこが生えるようにして、空気はこっちから入れるようにして」というようなことを話して、型枠かなにかを蹴っ飛ばしたら、次の日から一斉に誰も来なくなってしまった。
外構は、お金もなかったし、時間もかかったし、結局やってもらわなかったおかげで、近所の人やこの中の人が、石をおいたり木を植えたりしてくれました。洋風の庭を造ろうと思ったら、和風の灯籠をたてたり、五葉松になったりしてますけど、どっちでもいい話なので、何も言わなければみんなが参加してくれる。こうでなきゃならんと言うと、やってくれない。酒井さんも耳は聞こえなくなるし、ひざは動かなくなるし、ノイローゼ気味になって、終わるとすぐ帰っちゃって、誰も何も言わないもので、みんなが適当に外構を作ったり、おかげでぐちゃぐちゃになってよくなった。特養の方もそうです。
もうひとつ思うのは、時間に追われない人は形容詞の世界なんですね。会社や学校は数字の世界ですからいいですが、形容詞の世界というのは、もめるんです。男と女ももめるし、嫁姑ももめるし、お年寄りのみなさんももめるし、地域の人も、もめるんですね。そういういろんな人の力を借りることが大事で、借りると形容詞の世界でもめる。もめてもいいから、そういう人を入れようという理由は、皆さんは現場じゃないから分からないと思いますけど、介護の世界は24時間暮らす人に対して、働く人は8時間しかない。残りの16時間はどこかに行ってしまう。今は2対1くらいの介護なので、一人のお年寄りに対して4時間しかない。なおかつ365日生活する人に対して250日くらいしか働いてくれない。ということは結局、一人のお年寄りに対して2時間くらいしか介護してないんですね。いくら偉そうなことを言っても、能力が高くても、結局は2時間。在宅で訪問しても介護保険でも2時間しかできない。残りの22時間、寝ている時間をひいて15時間くらいをどうするか。それなら、まだチャボの方がましじゃないかということで、チャボを入れたり、鶏を飼ったり、山羊を放したり、いろんなものを入れてきました。
幼稚園もやっぱり30人の子供を先生が5時間で見る。先生は300分しかいないんですね。30人の子供を300分でみるのだから1人の子供は10分しか見てもらえない。残りの4時間50分は誰も見ていないから、そこに鶏を放したり自然を入れてみた。先生より、でんでん虫のほうがいいわけですね。だから、自然の中でぐちゃぐちゃして、いろんな人が来るように、たとえば生ビールを用意したり、露天風呂を用意したり。同じように、こういう施設にも、いろんな人を入れてゆく。
いろんな人を入れると、必ずもめるんです。大井さんなんか、補助金もらった特養の中に7年くらい住んでいた。そうすると、職員にとっては仕事場なもんですから、なんで無駄な者がいるんだ、何とかして下さいと言ってくる。鶏も大井さんも、一切の無駄なものをそぎ落とすとか言って、もめたことがあるんです。でも、そう言う職員だって結局は2時間しかやってくれないわけだから、それならということで、大井さんも7年間いたわけです。
ほどほど横丁の前に、私どもが経営するグループホームと、他の人が経営するグループホームと、他の人が経営する託児所の3つを合わせて大井さんに作ってもらったんですが、やっぱり違うと、もめるんです。子供がせっかく寝たのに、おばあさんがアアーッと言って通るので託児所は怒るし、グループホームの方は子供が走るもんだからまた怒るし。数字の世界じゃないから、もめるんです。ですから、今度の新しい藤ヶ丘の施設は、ほどほどにしようということで、ほどほど横丁という名前にしたんです。
ほどほど横丁も同じようにぐちゃぐちゃにしました。大井さんが得意なものですから、建物も小さい単位にしてくれました。ただ、壁をへたに塗れと言っても、ちっともへたに塗らないんですね。だから今度は失敗しないように、材料をヘンなものにしろと言った。柱にカンナをかけずに、四隅に皮を残すようにしたら、柱と梁もきちんとくっつかないし、しかも切りっぱなしで隙間があいている。これは成功でした。
ぐちゃぐちゃで自然素材ですから、誰でも簡単に直せるんですね。近所のおじさんたちが、こわれたような家だと言って直しに来てくれる。それもチャボよりましだから、そういうのが集まってくるように作った。近所のおばさんが畑から草をとって捨てているその草をもらってきて、敷地内に植えました。草ぼうぼうの屋敷になると、また街の人がその草をとりにくる。そういう風景が大事だということです。
小さい単位にしましたのは、形容詞の世界というのは、会社とちがってもめるからです。大きいと、どうしても数字の指示になってしまう。何月何日の何時何分にイラクにどれだけの爆弾を落とせというのがFAX一枚で指示できる世界。だけど、おいしいものを食おうとか、楽しくいこうというのは、しょっちゅう、もめるんです。恋人と二人でめしを食いに行くとき、中華にしようか寿司にしようかと言うと、目がキラリとする。じゃ、すし食いにいこうか、ということになりますね。それを大きい組織でやると、どうしてもうまくいかない。だから、小さい単位でやるのがいいだろうということで、建物も小さくしたんです。
いま、ユニットケアということがあちこちで言われていますけれど、私の所が5~6年前に小さい単位にしたのは、そういう意味です。小さい単位にするともめないし、赤の他人を受け入れるときに、変なおじさんが入ってきても、まあいいか、となる。酒井さんや大井さんがつくったものは、玄関からだけじゃなく、どこからも入って来られるんですね。どの幼稚園も、どの老人ホームも、どこが玄関だかわからない。どこかひとつだけ玄関を作ると、職員はすぐに管理したくなる。物理的にどこからでも入って来られると、もうやらないんです。だから、そういうふうにしました。
たまたま先日、感動とか癒しというテーマで何人かの人と話をしました。結論は、どうもだいたい5つぐらいのことで人が集まってくるという話になったのですが、私なんかちょうどぴったりだなと思いました。その5つというのは、まずパーフェクトじゃないこと。つぎに客や利用者から文句が出ること。それから不便であること。うちは本当に不便で、職員からもお客からも文句がでる。4つめに地域の材料を使うこと。自然素材ですね。さいごに行政の言うことに従わないこと(うちはチャンと従っていますが)。この5つが大切だということになりました。その通りだと思います。
建築基準法もいろいろ問題がありますが、その上に老人福祉法とか介護保険法の網もかかってくる。ほどほど横丁には介護が必要な老人が10人住んでいるので、有料老人ホームの規定が適用されそうになった。しかし、OLが4人おりますから、これはちがうな、ということになるわけです。
予算面でも、たとえばゴジカラ村は、3,000㎡で6億9,000万が国の補助基準なんですね。それなのに、木が生えているから建物を二つに分けて、道を造って、ガタガタの建物にして、しかもその金額の範囲でやる。私どもの要求はむちゃくちゃで、部屋も全部変えて、部屋の呼び鈴も全部ちがうものにして、あれもこれも欲しいものを全部入れておきました。ほかの設計事務所さんだと、これをやると高くなると言われるんですね。ここでも落札したあと、最後の話し合いになって、やっぱりできませんと言って大手が帰ってしまったことがあります。 | ||||||||
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